『映画』は、わたしの生活にとってとても身近な存在だった。
昔は公開初日に観に行くどきどき感が好きだった。 お小遣いの中からやりくりしてレンタルショップでうんうん唸りながら観たい作品を吟味する質素だけれど贅沢な時間が好きだった。 お昼や深夜に放送される古い映画をぼーっと観るあの静寂が好きだった。
しかし、大人になってそういう時間がめっきり減ってしまった。
最近はサブスクで「いつでも」「好きな作品」を観られるようになったけれど、それがかえって『映画』をわたしにとって身近ではない存在にしてしまった気がしている。 あとで観ればいいと思って、劇場から足が遠のいてしまっていることもその例のひとつで、自分自身でとても寂しく感じる。
ただ、映画好きの友人がよく誘ってくれることがきっかけで、映画館へと足を運ぶことがぽつりぽつりと増えた。 それでも、まだまだ圧倒的に家の中で観ることが多いが、観た後に感想を共有したりおすすめの映画の話をすることも増えた。昔とは違う楽しみ方を大人になって得られた気がする。 そうした体験を通して、映画鑑賞はわたしの日常にすっかり組み込まれ、切り離せない習慣となっている。
定期的に、時には立て続けに、映画を観るわたし。せっかくなので、最近観た3本の映画について記しておきたい。
1. 『ザ・ビーキーパー』(The Beekeeper)
作品名:The Beekeeper(ザ・ビーキーパー) 監督:デヴィッド・エアー/主演:ジェイソン・ステイサム
ジェイソン・ステイサムは裏切らない。 これは私が映画を観続けた結果、勝手に抱いている感想である。
アメリカの片田舎で養蜂家(ビーキーパー)として穏やかな生活を送る謎の男アダム・クレイ(ジェイソン・ステイサム)の話。ある日、恩人である善良な老婦人がフィッシング詐欺にあって全財産を騙し取られてしまい、悲しみの末に自ら命を絶ってしまう。悲しみと怒りを抱いたクレイは、詐欺集団への復讐を開始するのであった。
彼が出演する作品はほぼ毎回観ているが、今回は「養蜂家」という設定が特にお気に入りポイントだった。もちろん、彼がただの「養蜂家」の役なわけがなく、元秘密組織のエージェント。その設定を活かしたごりっごりのアクションは見応え抜群でした。泥臭い戦闘シーンもあり、個人的にはアクションとして大満足。とにかく頭を空っぽにしてアクションが観たいなと思った時に観たので、そういう時に観るのはピッタリ!
ちなみに、「The Beekeeper2」も決まっているので日本での公開が楽しみです。 さらに、「The Beekeeper」のデヴィット・エアー監督と再びタッグを組んだ「A Working Man」が2026年1月に公開予定。安全第一主義の現場監督で元特殊部隊隊員という役柄のジェイソン・ステイサムなのだから、きっとこれも裏切らないに違いない。
2. 『教皇選挙』
作品名:教皇選挙(原題:Conclave) 監督:エドワード・ホール/主演:レイフ・ファインズ
今年は実際に「コンクラーベ(教皇選挙)」が行われたため、そういう意味でも話題になった『教皇選挙(Conclave)』は、キャスト陣を観た時から絶対に観たかった作品だった。
カトリック教会の最高指導者である教皇が亡くなった直後から話はスタートする。時期教皇を選出するため、「コンクラーベ(教皇選挙)」が行われるが、候補者たちは票を獲得するために、水面下で様々な駆け引きを繰り広げる。信仰や権力、人間のエゴなど様々な思惑が入り乱れる、まさに静かな戦い。選挙を執り仕切ることとなったローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は、その静かな戦いの中で衝撃の出来事を知ることとなる。
派手なことは一切起こらないが、聖職者である候補者たちの人間欲が描かれていたことが、非常に興味深く面白い作品だなと感じた。最低限の予備知識だけを入れて観たが、それでも十分話を理解できたので、難解かなと思わずにまずは観てほしい作品である。
話の展開が上手いのはもちろん、ローレンス枢機卿の苦悩や葛藤・立ち振る舞いが身近に感じられて、不思議な没入感もあった。衣装や音楽も素晴らしく、2時間という長丁場においても「もっと観たい」と思わせる魅力が詰まっていた。
この作品は、久々に繰り返し何度でも観たいと思わされた作品であった。
3. 『エディントンへようこそ』
作品名:エディントンへようこそ(原題:Welcome to the Neighbourhood) 監督:アリ・アスター/主演:ホアキン・フェニックス、エマ・ストーン
『ボーはおそれている』や『ミッドサマー』で知られるアリ・アスター監督の待望の新作。ホアキン・フェニックスやエマ・ストーンという実力派俳優を起用した、現代を映し出すスリラー映画。
舞台は2020年のニューメキシコ州のちいさな町。コロナ禍でロックダウンされた町では、隔離生活が続き、住民たちは不安と不満が積もっていた。保安官であるジョー(ホアキン・フェニックス)は、"マスクをするしない"の小競り合いから、IT誘致企業で町を活性化させることを掲げた現市長テッド(ペドロ・パスカル)と対立し、市長選に立候補することに。これを切っ掛けに、エディントンという町には様々な火が広がり、疑念、憤怒、暴力、陰謀など、町は狂気に包まれていくのであった。
アリ・アスター監督特有の「映像美」と、そして「不安」が見事に描かれている作品。現代はSNS時代であり、自分が信じているものや嫌いなものまでSNSによって支配あるいは分断されている。そんな現代の「不安」を見事に表現していると感じた。
また、一見するとアメリカののどかな町であるはずが、冒頭からそれがどうしようもなく不安に感じられて仕方がなかった。徐々に登場人物たちの心理状態が追い詰められていくことが、彼らの演技はもちろん、音や色彩でも見事に表現されていたのは、いかにもアリ・アスター監督らしい作品だ。
西部劇のようなスタイルも組み込まれていて、時にクスッと笑えるダークコメディの面も持つ本作は、ぜひ現代に生きている多くの人に観て欲しいと思った作品であり、おすすめしたい。
こうして見ると、まったく異なるジャンルでありながら、どの作品も「そのときの自分」の感性に響く何かを与えてくれていると思う。「今日はこれで済ませよう」と気軽に観る作品もあれば、「じっくりと向き合おう」と時間をかけて選ぶ作品もある。その都度の自分の心の状態や暮らしに対する姿勢が、そのまま映画の選択に現れている気もする。
映画の魅力は、たった数時間で「新たな視点」を与えてくれるその力にある。
忙しい日には、現実から一歩離れて心を休ませる空間を提供してくれて、休日のゆったりとした時間には、今まで知らなかった知識や感情で満たしてくれる。 疲れている夜、何も食べたくないけれど何か刺激が欲しいとき、コンビニで手に取った軽食のように、映画が妙に心に沁みることがある。映画館の暗闘で観る予告編に、期待を抱くこともある。
これからも映画が、わたしの日常に寄り添ってくれることを楽しみにしている。