私のなかでの三大瞑想行為。それがピアノ・読書・歩くことだ。
歩くことは瞑想に近い。と言った手前だが私は瞑想がどういうものかはわからない。しかしこれらの行為は「きっとこれが瞑想行為なんだろうな」と思えるような心地よい感覚を得られる。整うという感覚に近いのかもしれない(ちなみに整うという感覚もわからない)。サウナも好きだが、少しの空き時間があるとするならサウナに入るのではなくピアノを弾きたい、本を読みたい、歩きたい。
そんな私の目に留まった本がコレだった。小説ともエッセイとも旅行記ともつかない形で、実験的な文芸のようにも思えた。
歩くというのはとても自由ですよね。誰かとおしゃべりしながら歩いたっていい。もちろん一人で歩くのもいい。何か考え事をするにもいい。音楽やラジオを聴いたっていいし、何も考えず何も聴かずただただ歩くのもいい。近所の知らないお店を見つけるのも楽しい。明るい時間と暗い時間では営業しているお店も違うから街の違った顔が見れていい。あ、早く歩くのもいいね。
私はよく会社から歩いて帰るのだが、この時間がとても好きだ。片道およそ50分くらい。自宅への方面が同じ仕事仲間と歩いて帰ることも多い。仕事の話をしたり、プライベートの話をしたり、道に並ぶ気になるお店について話したり、マイホームをどう考えているかという話から、最近オナラが止まらないという話まで。
もう一つ私の好きな歩き方がある。それがスローウォークだ。普段の歩行速度の半分以下で歩く。これをする意味は、まず景色のささいなことに疑問をもてる。そしていつもと思考のプロセスが変わる。
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「こんなところにお店はあっただろうか?これは何屋さんなんだ?看板はない。店の前に植木鉢があって、その横には換気扇、その上に猫の餌らしきもの。面倒を見ている形跡があるということは自宅兼?中からは歌声が聞こえるな。スナックだろうか。中はまったく見えない。こんなに入りづらいのに経営できているということは新規の方も来ているのだろうか。ここに新規で入店する人の心境はどんな感じだ?それとも私がもうひと回り歳をとったら抵抗なく入れるようになっているのだろうか。」
「土手沿いの木には三分咲き程度の桜。川を挟んだ団地の建物のうえにはガスボンベのようなものが置いてある。魚肉ソーセージにも見えるな。お腹が空いてきた。坂を降りたところに賑わっているちょっとした広場がある。少し顔を出してみると、地元の農家さんたちが採れた野菜を販売しているみたいだ。親子で出店しているテントもあり、父親のほうが店じまいを始めようとしていた。私は慌てて発泡スチロールに入っているセロリのキムチとアップルパイを買わせてもらった。」
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これはスローウォークでないと起き得ない思考プロセスだし、行動だ。おかげで美味しいバターアップルパイにも出会えた。スローウォークはスマホや効率化に追われる現代生活の対置にある哲学とも言える。
本書の文章は特別、情景描写が巧みなわけでもなく、語り口が豊潤なわけでもないが、意図的な改行や余白、事実が淡々と綴られている文章、リュックサックを親友と呼んでいたり、皺の入ったズボン(パンツではなく)と言っていたり、単語や文章一つひとつになぜか惹き込まれる。
髭は伸びっぱなし、スーツの上着は破れ、膝までズボンが泥だらけの世捨て人。タバコに火をつけ、ワインのペットボトルを開け、ベッドに横になる。私はよい気分になり、ようやくここまでやって来たのだと感じた。(P.146)
私は階段を下り、昼食を食べる。卵に、白パン、ほんの少しのチーズ、オレンジ・ジュースにコーヒー。朝食部屋に私一人。配膳する人も訪ねる人もいない。私は一人でいるのが好きだ。(P.60)
初めて出来た彼女と旅行に来たのだった。まずはベルゲンからオスロまで昼間の列車で、その後、夜行列車でコペンハーゲンへ、そこから朝にハンブルクへ直行し、そこでドイツを横断する特急列車に乗り換え、昼夜を問わず、平坦で広大なドイツと、平坦で狭いベルギーを横断し、やがてフランスとの国境を越え、パリ北駅に夜に辿り着いた。外は暗かった。私達は雑誌や本で読んだ以外、パリについて何も知らなかったが、それで十分だった。(P.169)
本を通して何か気づきを得なくてよい。ただ言葉を浴びるだけでよい本だと感じた。
私は登山をしないが、登山がしたくなる。朝食をとらないが、朝食をとりたくなる。あまり旅をしないが、旅をしたくなる。そんな本。
作中でさまざまな人名・作品が上がるのだが、幾度か『ジャン=ジャック・ルソー』について触れる節がある。「人間不平等起源論」や「告白」が有名でしょうか?私はどれも読んだことないが難しそうなので「孤独な散歩者の夢想」でも読んでみようかなぁ。
散歩が気持ちいい季節になってきましたね。
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《書籍情報》
『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』
トマス・エスペダル 著, 枇谷 玲子 訳
出版社:河出書房新社 (2023/2/27)
ISBN978-4-309-20875-6